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【自己紹介】

かなえびと

代表
コンテンツディレクター
SDGs de地方創生カードゲーム公認ファシリテーター

井上真由美

1982年生まれ。2004年よりWEBコンサルティング会社へ入社。

長崎県佐世保市生まれの佐賀育ち
WEB業界でのディレクションやコンサルティングの経験を活かしクライアントの夢を叶えるサポート業務、SDGs関連事業を実施。WEBからリアルまで対応範囲が広く制約の少ないサポートが喜ばれています。

私がWEB業界で学んだこと

長崎県佐世保市で生まれてすぐ、父の仕事の都合で大阪府松原市河内天美という場所に移り住みました。
そして、5歳の時佐賀県に戻り佐賀県内で育ちました。

仕事のため15年くらい福岡に住んでいましたが、今は佐賀県に住んでいます。

実は、子ども時代はあまり佐賀が好きじゃありませんでした。大きな商業施設も遊園地もないし、車社会なので車がないとどこにいくのも不便。どちらかというとインドア派の子供だったこともあって当時の私が楽しめる場所がほとんどなかったのです。普通免許を持ち、自家用車を有する大人になった今は子ども時代程嫌だとは思いませんが、小さなころは大阪にいたかった…という想いの方が強かった記憶があります。

地方の魅力や自分の街に愛着を持つという考え方が出来るようになったのは本当にここ数年のことです。
ただ、当時から自分が住んでいた街の活気のなさだけはどうしたもんかと思ってはいたのです。

ブラック企業からベンチャー企業へ

そんな感じで早くから都会のキラキラにあこがれを持っていた私は、学生生活を経て福岡県での就職に成功。
華やかな都会の代名詞である東京や大阪を選ばなかったのは、単純に両親が反対することが目に見えていたからです。

そんな世間知らずの私が、福岡で正社員として最初に入社したのはいわゆるゴリゴリ営業のブラック企業でした。
営業職を志した理由も「一人暮らしを続けていくには稼がないといけないから」という安直なもの。当時WEB業界は今よりまだまだ発展途上の状態で、HPのリース販売が物議を醸しながらも横行している時代でした。


でもそんな社会人経験が乏しく世間を知らない私でも途中から「何かがおかしい」と感じていました。
しかし生活のため給料の未払いにあいながらもやめることができず、しまいには役職まで付き4年ほど在籍させていただいたのです。

今になって振り返れば色々と経験させていただき感謝している面もありますが
当時は会社の体制、社長の考え方、営業のやり方、長時間労働、パワハラなど納得いかないところが山ほどありました。中でも一番許せなかったのが「契約することでお客さんを苦しめてしまう」ことにつながることでした。

弊社のHPサービスを導入いただければ、ずっとサポートいたします!
と言ってたくさんの夢を見せて契約するけど
HPを作って納品した後は何のサポートもしない。

そんな生活を4年も続けると心が荒み、いよいよ限界を感じるようになり転職活動をはじめました。一人暮らしで貯金もそんなになかったので、悠長に構えている時間はありません。
私は限られた時間を活用して、転職活動を行いブラック企業から退職を決めました。

WEB系ベンチャーへの転職


いわゆる競合他社です。でも、価値観も社内体制も、いいところも悪いところも包み隠さず話してくれたので安心して入社することができました。

そして、この会社が私の今までの押し売りスタイルを課題解決型に根気強く変えてくれることになりました。営業にはじまり、ディレクションや少額の広告運用、カスタマーサポート、分析改善、フレームワークなどたくさんのお客様の案件を担当する中で今のスキルの土台となることを経験していきました。

少しずつ分かってきた「私が大切にしていること」

振り返ってみるとベンチャー企業でも、そこそこ激務で数字へのプレッシャーも強くて決して楽な環境ではありませんでした。そんな中でも、私は営業部女子課という女性営業職を応援する全国コミュニティで福岡エリアリーダーをやったり、異業種交流会に参加するなど様々な社外活動を楽しむ余裕がありました。

それは、全ての行動が「自分の行動が、たとえ一人でも誰かを幸せにできれば」という想いにつながっていたからです。

お客さんが持つ夢や理想を現実にする企画を描いてそれをコツコツ愚直に腐らず実践することも、当時まだまだ少数だった営業女子が会社を超えてつながりを持つことも、異業種交流会など社外で出会った人たちの夢を聞いてその実現プランを考えるのも、私なりに自分に関わる人達を幸せにしたいという想いからの行動でした。

そんなリア充な毎日を送っていた時、地元の友達と久しぶりに佐賀へ
遊びに行くことになりました。

福岡で暮らすようになり佐賀には定期的に帰ってはいましたが
大体が目的地と実家の往復で特に行きたい場所もないので改めて佐賀で遊ぶと言っても・・カフェかイオンかゆめタウンしかわからない私。


でも、友達があちこちに連れて行ってくれました。
場所こそありきたりな観光地でしたが、そこそこの歴史やその地で起こった過去の出来事、そこを経営する人のこと色々と教えてくれたことが、とても面白くて。
街って意外と面白いなと素直に思うようになったのです。

当時は都市高速の近くに住んでいたこともあり、遊びに行くのは熊本や湯布院など
ブランド化されつつある人気観光地ばっかりに目が行っていましたが
身近なところに目を向けると意外に面白い場所があったことにびっくりしました。

地域を活性化するってどうしたらいいんだろう?

この日を境に、お客様と話す際、地域とどんな風に関わろうとしているのかをよく聞くようになりました。福岡と言っても広く、博多や天神中洲のような全国的に有名なところもあれば、それどこ?っていう位マイナーな場所もあります。


お客さんの中には地域の役員や商工会や青年会議所の役員をやっている方もいて、いろんな意見を聞かせてもらったことを覚えています。
その多くが自社が頑張ることが、街の知名度向上や誘客につながるのだという考えで活動しているというもの。特に、あまり観光客が来ない小さな町の人達の方が具体的で面白い案を持っていました。
ただ、どのエリアでも後継者不足や若手人材の教育については課題山積で、仮に売上が良くても後継者問題が経営の危機となることも珍しくなく、地方を活性化するためにも若手の育成や若者を集めることは大事なんだとおっしゃっていました。

やり方は人それぞれ。
その場所にいなくたって、どんな形でも地域の活性化ってできる。
何なら私がやってることだって、広く言えば地域の活性化につながってるんじゃないか。

WEBは手段だけど目的ではない。
私は、自分の行動で、一人でも多くの誰かを幸せにしたい。

そう思って組織という枠を離れてフリーランスとして活動することを決めたのです。

フリーランス6年生、今やっていること

フリーランスになり紆余曲折ありましたが、私は今、「未来に向けて意欲的に挑戦を続ける中小企業の情熱ほとばしるサービスをカタチにする」ことをしています。
具体的には、プロジェクトディレクション業務、SDGs de地方創生、SDGs経営サポートというメニューを中心に日々お客様と向き合っています。

今まで私が経験してきたスキルを活かしWEBコンサルティング、ディレクション、ライティング、企画、運用分析、誘客支援、集客サポート、人材育成など、やりたいけどできないことを設計段階から伴走しながら伴走させていただいています。

私の考えを押し付けるのではなく、あくまでも主体は「クライアント様」という意識を忘れずにクライアントが本当にやりたいことを望む形で現実にすることに日々奮闘しています。

未来に向けてどんな想いを持つ人の味方なのか

私は、明るい未来を現実にするために信じて挑戦を続ける人達全員の味方です。


企業様はもちろんですが個人で活動するフリーランスの方や街づくりに関わる人
自分の仕事や活動に信念持って取り組む人達の活動を応援していくことがライフワークです。

どんな人達のどんな苦しみを救いたいのか?

ちょっと掘り下げますと、新しいチャレンジをすることはワクワクする反面
うまくいかずに打ちのめされることも多々あります。


うまくいかないことを「苦しみ」と考えてるわけではないのですが
マイナスの感情であることには違いがないのでイメージしやすいような表現として苦しみとしています。


うまくいかずに打ちのめされたから諦めますと言えるものはそれでいいと思いますが
中には、様々な理由からあきらめるわけにはいかないことってあります。

だから周囲からなかなか理解されない、賛同が得られないことを一人で黙々と進めるって本当に孤独だと思うのです。その挑戦者の孤独や不安に寄り添い、やりたいことの前進につなげるために必要なことを多角的にサポートすることが求められてると思います。

どんな社会を作っていきたいのか?

年齢性別、障害の有無に関わらず、誰もが挑戦者であり応援者である社会
そして、生きづらさを抱える人がいない社会を作っていきたいと思っています。

過去、私が新しいチャレンジを始める時
私の身近にいた人ほど、その挑戦を応援してくれませんでした。
これは単純に起業してからということではありません。
小さい頃から、やりたい!と言っても、お前には無理だ、続かない、出来るはずがないと言われ続けてきました。

当時の私はその反応が単純に悲しかった。


今になって思えば、自分の想いをしっかりと言葉にできてなかった、想いを伝えきれてなかった、伝える努力が足りなかったと反省点は多々あると思っているのですが

悪いことしてるわけじゃないのに、なんで?
どうしてそんなこと聞くの?
わかってくれないならもういい!

何かマイナスのことを言われるたびにそんな風に思っていました。

わかってくれる人と一緒にやればいい
万人に賛同されるプロジェクトなんてない
ということは、今になればわかります。

でも、なにかをやろうと前向きに考えているときに
否定されるって結構悲しいんです。
そこから生まれるものもあるのは分かりますが
この悲しい想いでチャレンジを躊躇したり諦めてしまう人がいるのも事実。
それは非常にもったいないことだからこそ、挑戦する人にやさしい世界を作りたい
と思っています。

だから、私が今の仕事をしている理由は

挑戦する人があふれる、元気な社会を作るために
私は、何かを創って世に出すプロジェクトという伴走型のプロジェクト実走サポートをしています。
また、生きづらさを抱えた人を少しでも少なくするためにSDGsの推進、啓もう活動をしています。


色んな活動していますが、一番の根底にあることがこれなのです。
この2つの軸になぞらえて、私は関わるプロジェクトを選択しています。


色々な経験をしてきたからこそわかることですが、どんな小さな町や場所でも見方さえ変われば「魅力」はあるんです。それを求めている人にどう見せるかが重要で、そこに知恵を絞り試行錯誤を繰り返し結果につなげることが価値があるということだと思っています。

その誰もが持つ価値を見つけて、それを世に広げていくことこそが
私が今の仕事を続けている自分なりの意味なのです。