自己紹介は30秒以内に⁉そんなんじゃ、想いは伝わらなくない?

そういえば、エフェクターズスクールに行った割にはプロフィール
ちゃんと公開していない…ということに気が付き改めて書いてみました。


叶人集団(かなえびと しゅうだん)

代表
コンテンツディレクター
SDGs de地方創生カードゲーム公認ファシリテーター

井上真由美


1982年生まれ。2004年よりWEBコンサルティング会社へ入社。
HPや広告の運用、採用チャネル、オウンドメディアの企画運用などクライアントの課題解決につなげようと真剣に向き合った結果、企業を作る人材がカギとなることに気が付き人材育成コーチングの資格を取得し2015年に独立。

独立当初は過去の経験を活かしてWEB運用やコンサルティング、ライティング、ディレクション、採用プロモーション、イベント企画等いただいた仕事はなんでも喜んで取り組んだ。それでも売り上げがない時期が続き、自暴自棄になることもあったが周囲の諸先輩方に助けていただきながら少しずつ前に進めるようになる。


このことがきっかけとなり、今は5つのテーマに事業を絞り活動。
また、苦しかった時代に様々な方に助けていただいたことが、中小企業の課題を解決し社長も社員も幸せになってほしいと強く思うようになる。そして自分自身も、誰かが困っているときには手助けができる人間になると決め、日々前進中。

私がWEB業界で学んだこと

私は佐賀県で育ちました。仕事のため15年くらい福岡に住んでいましたが、今はまた佐賀県に住んでいます。
色々な経験をしてきたからこそわかることですが、どんな小さな町や場所でも見方さえ変われば「魅力」はあるんです。
それを求めている人にどう見せるかが重要で、そこに知恵を絞り試行錯誤を繰り返し結果につなげることが価値があるということだと思っています。

ちなみに、私子どもの頃はあまり佐賀が好きじゃありませんでした。大きな商業施設も遊園地もないし、車社会なので車がないとどこにいくのも不便。どちらかというとインドア派の子供だったこともあって当時の私が楽しめる場所がほとんどなかったのです。
まぁ子どもの頃から街に愛着を持っていればそれは素晴らしいことですが、子どもの現実なんてそう簡単にはいきません。

でも、この考え方は街以外の商品やサービスにも当てはまるものだと思っています。


ブラック企業からベンチャー企業へ

早くから都会のキラキラにあこがれを持っていた私は、学生生活を経て福岡県での就職に成功。華やかな都会の代名詞である東京や大阪を選ばなかったのは、単純に両親が反対することが目に見えていたからです。


そんな世間知らずの私が、福岡で正社員として最初に入社したのはいわゆるゴリゴリ営業のブラック企業でした。

販売していたのはHPのリース販売で当時から物議を醸していたことすら知らなかった。
でもそんな社会人経験が乏しかった私でも途中から「何かがおかしい」と感じていました。
しかし生活のため給料の未払いにあいながらもやめることができず、しまいには役職まで付き4年ほど在籍させていただいたのです。


今になって振り返れば色々と経験させていただき感謝している面もありますが
当時は会社の体制、社長の考え方、営業のやり方、長時間労働、パワハラなど納得いかないところが山ほどありました。
一番許せなかったのが「契約することでお客さんを苦しめてしまう」ことにつながることでした。


弊社のHPサービスを導入いただければ、ずっとサポートいたします!
と言ってたくさんの夢を見せて契約するけど
HPを作って納品した後は何のサポートもしない。

当時社内で設けられていた「契約してリース会社から自社に入金があったら、その後は次の契約が見えるまでそのお客さんのところには行ってはいけない」というルールが一番納得がいきませんでした。
私はそんなルール無視で、休日や時間外を利用してできる限りお客さんのサポートをしていましたが、限られた時間の中でできることなんかたかが知れています。しかも、なぜちゃんとサポートできないのか、その理由をお客さんに伝えるわけにはいきません。
いつも心は悶々としていました。


そんな生活を4年も続けると心が荒み、いよいよ限界を感じるようになり転職活動をはじめました。一人暮らしで貯金もそんなになかったので、悠長に構えている時間はありません。
私は限られた時間を活用して、転職活動を行いブラック企業から退職を決めました。


その次に入った会社はWEB系ベンチャー。
いわゆる競合他社です。でも、価値観も社内体制も、いいところも悪いところも包み隠さず話してくれたので安心して入社することができました。

そして、この会社が私の今までの押し売りスタイルを課題解決型に根気強く変えてくれることになりました。

営業にはじまり、ディレクションや少額の広告運用、カスタマーサポート、分析改善、フレームワークなどたくさんのお客様の案件を担当する中で今のスキルの土台となることを経験していきました。


少しずつ分かってきた「私が大切にしていること」


振り返ってみるとベンチャー企業でも、そこそこ激務で数字へのプレッシャーも強くて決して楽な環境ではありませんでした。そんな中でも、私は営業部女子課という女性営業職を応援する全国コミュニティで福岡エリアリーダーをやったり、異業種交流会に参加するなど様々な社外活動を楽しむ余裕がありました。

それは、全ての行動が「自分の行動が、たとえ一人でも誰かを幸せにできれば」という想いにつながっていたからです。

お客さんが持つ夢や理想を現実にする企画を描いてそれをコツコツ愚直に腐らず実践することも、当時まだまだ少数だった営業女子が会社を超えてつながりを持つことも、異業種交流会など社外で出会った人たちの夢を聞いてその実現プランを考えるのも、私なりに自分に関わる人達を幸せにしたいという想いからの行動でした。


そんなリア充な毎日を送っていた時、地元の友達と久しぶりに佐賀へ
遊びに行くことになりました。

福岡で暮らすようになり佐賀には定期的に帰ってはいましたが
大体が目的地と実家の往復で特に行きたい場所もないので改めて佐賀で遊ぶと言っても・・カフェかイオンかゆめタウンしかわからない私。


でも、友達があちこちに連れて行ってくれました。
場所こそありきたりな観光地でしたが、そこそこの歴史やその地で起こった過去の出来事、そこを経営する人のこと色々と教えてくれたことが、とても面白くて。
街って意外と面白いなと素直に思うようになったのです。


江戸時代じゃないですw平成の塩田宿


当時は都市高速の近くに住んでいたこともあり、遊びに行くのは熊本や湯布院など
ブランド化されつつある人気観光地ばっかりに目が行っていましたが
身近なところに目を向けると意外に面白い場所があったことにびっくりしました。


地域を活性化するってどうしたらいいんだろう?

この日を境に、お客様と話す際、地域とどんな風に関わろうとしているのかをよく聞くようになりました。福岡と言っても広く、博多や天神中洲のような全国的に有名なところもあれば、それどこ?っていう位マイナーな場所もあります。


お客さんの中には地域の役員や商工会や青年会議所の役員をやっている方もいて、いろんな意見を聞かせてもらったことを覚えています。
その多くが自社が頑張ることが、街の知名度向上や誘客につながるのだという考えで活動しているというもの。特に、あまり観光客が来ない小さな町の人達の方が具体的で面白い案を持っていました。
ただ、どのエリアでも後継者不足や若手人材の教育については課題山積で、仮に売上が良くても後継者問題が経営の危機となることも珍しくなく、地方を活性化するためにも若手の育成や若者を集めることは大事なんだとおっしゃっていました。

やり方は人それぞれ。
その場所にいなくたって、どんな形でも地域の活性化ってできる。
何なら私がやってることだって、広く言えば地域の活性化につながってるんじゃないか。

WEBは手段だけど目的ではない。
私は、自分の行動で、一人でも多くの誰かを幸せにしたい。

そう思って組織という枠を離れてフリーランスとして活動することを決めたのです。


フリーランス5年生、今やっていること

フリーランスになり紆余曲折ありましたが、私は今、「未来に向けて意欲的に挑戦を続ける中小企業の情熱ほとばしるサービスをカタチにする」ことをしています。

今まで私が経験してきたスキルを活かしWEBコンサルティング、ディレクション、ライティング、企画、運用分析、誘客支援、集客サポート、人材育成など、やりたいけどできないことを設計段階から伴走しながら実走します。

昔は随分と押しつけがましいこともしてきましたが、今はできるだけ相手の意志を尊重しながら自分の行動で、一人でも多くの誰かを幸せにできればと思っています。





マチヒトコトモノ活動日誌

未来に向けて意欲的に挑戦を続ける人が好き!そのパッションあふれるサービスを形にするプランニングディレクターの活動記録や思ったことを綴ります